ヘリコプター・マネー
貨幣発行益


財政 危機
政府の借金ゼロ
信用 創造
バブル経済
GDP
税の源泉

デフレからの脱却
日銀による意図的デフレ
オズの魔法使い
金貨供給量・金本位制
BIT COIN
CRYPTO CURRENCY


通貨発行益を財政資金として使用する手法は、ヘリコプターマネーと呼ばれている。

ヘリコプターマネーというのは、政府や中央銀行が、まるでヘリコプターからお金をばらまくように、市中に貨幣を供給す
ることから名づけられた。

このヘリコプターマネーは、日本ではとても評判が悪い。

まるで打ち出の小槌のような魔法がありうるはずがないという先入観があるからだ。

だから、主要政党のなかで、ヘリコプターマネーを支持する政党はないし、官僚も、財界人も、そして安倍総理までが、ヘリコプターマネーの実施を否定している。

しかし、私は、このヘリコプターマネーに対する無理解こそが、バブル崩壊以降、四半世紀にわたって日本経済を低迷させた最大の原因だと考えている。

ヘリコプターマネーは、けっしてあやしいものではない。

ヘリコプターマネーのアイデアは、ノーベル経済学賞受賞者であるミルトン・フリードマンが1969年に提唱し、同じくノーベル経済学賞受賞者であるポール・クルーグマンが同様の政策を日本経済に対して提案し、ベン・バーナンキ前FRB(連邦準備制度理事会)議長が導入を推奨するなど、多くの偉大な経済学者が支持をしている。


明治維新で実行されたヘリコプターマネー

日本でも、大規模なヘリコプターマネーは実施されている。

明治維新の時だ。明治維新という日本の経済社会を根本から作り替える大改革を支えるには、莫大な資金が必要だった。
その資金を明治政府は、政府紙幣の発行でまかなったのだ。

政府紙幣というのは、中央銀行ではなく、政府が発行する紙幣だ。

政府が発行する紙幣だから、発行額から印刷費を除いた全額が、通貨発行益として、直接政府の手元に残る 。

明治政府は、1868(慶応四)年に殖産興業の資金を得るために政府紙幣である「太政官札」を発行した。

その発行残高は4800万両に及んだ。

明治初期の物価を正確に把握するのは困難だが、現在までに物価がおよそ1万倍に上昇しているとみられることから、太政官札で明治政府が得た財政資金はいまの物価で4800億円という巨額に及んでいる 。

しかし、太政官札は当初から期限付きの政府紙幣であったため、1872年に政府は、同じ政府紙幣である明治通宝を発行した。

太政官札の大部分は、明治通宝に交換されたのだ。

だが、明治通宝が発行されて5年後の1877年に西南戦争が勃発し明治政府は戦費調達のため、明治通宝の大量発行に踏み切った。

その結果、激しいインフレが発生してしまった。

そこで、明治政府は、通貨の安定をはかるべく、1882年に日本銀行を設立し、1885年から日本銀行券(免換銀行券)が発行されることになったのだ。

明治通宝は1899年に正式に運用停止となった。

太平洋戦争の際は、戦費調達のために戦時国債が発行され、それを日本銀行が引き受けたため、通貨の発行量が異常に高まり、結果的にインフレが昂進し、それは戦後になっても収まらないどころか、むしろ爆発的に進んだ。

それをきっかけに、戦後の財政法で、日銀による国債の直接引き受けが禁止されることになったのだ。


有事だけでなく平時でも使われる通貨発行益

たとえば、日本政府が国債を発行して、日銀がそれを買い取る。

日銀が保有する国債には利払いがなされるが、その利息の大部分は、日銀の剰余金として、政府に全額納付される。

それを通貨発行益と呼ぶ経済学者もいる。

本当は、日銀の剰余金収入は、通貨発行益の運用益のようなものなのだが、それを政府は歳入として毎年の予算のなかで活用してきているのだ。


ただし、本当の通貨発行益は、日銀が買い取った国債額そのものから印刷代を差し引いたものになる。

日銀が国債を保有し続けている限り、政府は元本返済の必要がないからだ。

だから、本来であれば、国債の日銀買い取りにもとづく通貨発行益は、税収とともに、政府の歳入としてきちんと位置づけるべき性格のものなのだ。


それをせずに、いわば秘密の財源としてずっと隠してきたというのが、これまでの日本財政の歴史なのだ。

そして、歴史を振り返れば、通貨発行益を財源として活用することは、平時にはまったく問題を起こしていない。

それが問題になるのは、貨幣の供給を増やしすぎて、インフレになってしまうときに限られているのだ。

太平洋戦争の際に発行された戦時国債の額は、GDPの約8倍、いまの金額に直すと、4000兆円という巨額のものだったのだ。

いまでも、それくらいのことをやったら、高率のインフレが到来する可能性はあるだろう。

しかし、いま日本政府が抱えている実質債務はGDPを下回る水準だ。


太平洋戦争のときと比べたら、ケタ違いに債務が小さいのだから、高率のインフレを招く可能性はほとんどないと言えるだろう。

だから、誤解を恐れずに言えば、ヘリコプターマネーを活用することに後ろめたさを感じる必要はなく、堂々と財源の一つとして活用すればよいのだと思う。


出所:消費税はさげられる!.森永卓郎2017-03-10 角川新書





 

 


貨幣発行益とは何か?

「信用創造の罠からの唯一確実な脱却手段は、ヘリコプターマネーである」。

ヘリコプターマネーを実施するということは、「貨幣発行益」を使うことを意味する。

「貨幣発行益」は、政府や中央銀行などが貨幣を発行することで得られる利益である

例えば、1万円札の発行コストは一枚あたり約20円なので、残りの9980円が日銀の貨幣発行益ということになる。

中央銀行が発行する場合はもう少し複雑な議論が必要となる(日銀のホームページには、「日本銀行の利益の大部分は、銀行券(日本銀行にとっては無利子の負債)の発行と引き換えに保有する有利子の資産(国債、貸出金等)から発生する利息収入で、こうした利益は、通貨発行益と呼ばれます」と書かれている。
これは、1万円札のうちの9980円を貨幣発行益と見なす考え方と一見異なっているが、両者の額は計算上同じになる。) のだが、政府が貨幣発行する場合は明確である。

1986年(昭和61年)に天皇在位60周年記念金貨が10万円で売り出された。

この金貨に含まれる金の価値はおよそ4万円だった。

この4万円と若干の鋳造費用を引いた残りの6万円弱が政府の貨幣発行益である。

なお、この場合の4万円を貨幣の「素材価値」、10万円を貨幣の「額面価値」という。

中世のヨーロッパや江戸時代の日本で為政者は、コインのこのような額面価値と素材価値の差から盛んに貨幣発行益を得ていた。

貨幣発行益は英語で「シニョレッジ」というが、その語源はシニョール(領主)である。

貨幣発行益を得ることは、中世ヨーロッパにおいては封建領主の特権だったのである。

江戸時代の日本では改鋳によって度々、小判(金貨)や丁銀(銀貨)の「品位」を低下させた。

「品位」というのは、コインに含まれる金や銀の含有量である。

コインの額面をそのままにして含有量を減らし素材価値を下げることで、江戸幕府は貨幣発行益を得ていたのである。

江戸時代の勘定奉行、荻原重秀は、「たとえ瓦礫のごときものなりとも、これに官府の捺印を施し民間に通用せしめなば、

すなわち貨幣となるは当然なり。紙なおしかり」と述べたと言われている。

超訳すると、「お金は貴金属でなくても政府の保証さえあれば瓦礫や紙でもOK」という意味である。

荻原は、貨幣の本質が情報であり約束事であるということを300年以上前に見抜いていたのである。

私が「日本のジョン・ロー」と勝手に呼んでいるその荻原は、小判の金含有量を3分の2に減らして、貨幣量を1.5倍に増やす「元禄改鋳」を行った。

額面は「1両」で変わらないわけだから、その分だけ幕府は貨幣発行益を得たことになる。

このように、徴税力に乏しい近代以前の為政者にとって貨幣発行益は大事な財源だった。

しかし現代でも政府は貨幣発行益を使うことができる。

政府の財源として「税金」「国債」以外に「貨幣発行益」が挙げられるのである。

これら3つのうち、国債はいずれ税金によって償還するか、中央銀行に買い取らせて貨幣発行益に変える必要がある。

したがって、政府の恒久帆な財源は、「税金」と「貨幣発行益」の二つだと言える。

貨幣発行益は、人類が手にできるほとんど唯一の打ち出の小槌であり、私たちはデフレ下では、この小槌を副作用なしに振ることができる。

ヘリコプターマネーを実施しない政府と中央銀行は、国民のウェルフェア(厚生、幸福)を高める責務を怠っていることになる。

もちろんそのような政策を無際限に認めれば、過度なインフレが引き起こされるが、2〜4%程度の緩やかなインフレになるまでは、むしろヘリコプターマネーを積極的に実施すべきであろう。


貨幣発行益をべーシックインカムとして国民に配当せよ

それでは、政府は貨幣発行益をどのような支出に向けるべきだろうか。

公共事業はそれが不必要なものであれば、国民のウェルフェアを高められない。

その場合、定額給付金や児童手当のような形で、国民に直接お金を給付する方が良いかもしれない。

最も公平なのは、国民一人ひとりに同額ずつマネーを給付することである。

これを私は、「貨幣発行益の国民配当」と呼んでいる。

「貨幣を発行することで得られる利益を目に見える形で国民に還元すべきだ」という意味合いが込められている。

「国民配当」は、もともとカナダの思想家であるクリフォード・ヒュー・ダグラスが示したアイディアであり、それが「べーシックインカム」の直接の起源の一つになっている。

「べーシックインカム」(以下BI)は、生活に最低限必要な所得を国民全員に保障する制度である。

例えば、毎月7万円のお金が老若男女を問わず国民全員に給付される。私は、これをよく「子ども手当+大人手当」つまり「みんな手当」と説明している。

BIは社会保障制度の一種であるが、この言葉は公的な収益の分配つまり国民配当という意味でも使われる。

例えば、イランや米国のアラスカ州などでは、政府が石油などの天然資源から得た収益を国民(州民)に分配しており、これもBI的なものとして位置づけられる。

日本のような天然資源に乏しい国でも可能な国民配当が少なくとも一つあって、それが貨幣発行益の国民配当である。

理論的にはデフレ不況の時に限らず、常にこのような配当は可能である。

単純なモデルでは、長期において貨幣成長率を技術進歩率と同程度にすれば、インフレ率はおよそゼロになる。

そして、貨幣成長率が技術進歩率を上回る場合は、その差がインフレ率となる。

つまり、技術進歩の分だけ私たちは、インフレを起こさずにお金を増やし配ることができるのである。

なお、貨幣が長期的に中立だとすると、貨幣発行は長期的にはなんらの社会的な富を生み出さない。

ところが、貨幣が長期的に非中立であるならば、貨幣発行は常に需要不足を埋め合わせる効果を持つので、その分だけ社会的な富を絶えず生み出すのである。

いずれにせよ、技術進歩の存在は貨幣の絶えざる増大を要求し、日々のその増大分が貨幣発行益を生み出す。

つまりは、貨幣発行益の持続的な源泉は、経済全体で起きている技術進歩なのである。

技術進歩が停滞さえしなければ、貨幣発行益を常に国民に配当することができる。

技術は現在を生きる個々人、研究者や技術者のたゆまぬ努力によって進歩するが、彼らの高度な研究開発は、先人たちが残した知識の集積の上でなされている。

さらには、日々生み出される技術そのものが、市場の取引なしにつまり経済の外部を通じて別のイノベーションを促しもする。

技術進歩は、「巨人の肩」に乗った個人のインスピレーション(ひらめき)とパースピレーション(汗)によって可能となるのである。

現在の研究者、技術者などの個人は、その努力分の見返りを得ているだろうか。

それは十分とは言えず、一層の見返りが必要であるとも考えられる。

だが、それを超えた分、先人たちの遺産に相当する部分や他のイノベーションによって誘発された経済外部性に相当する部分は、誰か特定の個人に帰属されるべきものではない。

そのような利益は、国民全体で先人たちに感謝しつつ分け合う他ない。

このようにして、貨幣発行益の国民配当を権利の上で正当化することができるだろう。

貨幣を主に創造しているのは、日銀のような中央銀行ではなく、駅前のそこかしこにある民間銀行である、貨幣発行益の大部分は国民に還元されていない。

民間銀行は、企業や個人への貸し出しの際に預金という貨幣を創造する。

銀行は「預金貨幣」を創造し、そこから得られる貨幣発行益を基礎にして、営業利益を獲得する。

民間銀行は、中世ヨーロッパのシニョールよろしくお金を創造する特権を与えられているために、貨幣発行益を享受することができる。

貨幣制度改革の提案者であるジョセフ.フーバーとジェイムズ・ロバートソンはこのような特権を、市中銀行に対する「隠れた補助金」と呼んでいる。

民間銀行から企業へ資金が貸し付けられ、企業が財を生産し、その売り上げの一部は賃金や株式の配当の形で家計へ渡されていく。

あるいは、預金を持つ家計は、その利息を得るだろう。

したがって、家計もまた貨幣発行益のおこぼれに預かり得る。

しかし、貨幣発行益の分配のされ方は、不透明で不確実で不当なものと言わざるを得ない。

例えば、今、日本政府には1000兆円の借金があると言われている。

そのうち60%くらいが銀行から借りたお金であり、信用創造によって作り上げられたお金である。

もし、政府が自ら紙幣を発行するなどしてまかなえば、その分の借金は生じなかったはずである。

無からお金を作り出すという意味では、政府が紙幣を発行しようが銀行が信用創造しようが同じである。

それなのに、政府が自らお金を作り出す権限を放棄しているがために、わざわざ銀行から借金をしなければならず、これまで膨大な利子を支払ってきたのである。

こんなバカバカしい話があるだろうか。

銀行への利払いは国民の増税によってまかなわれるわけだが、銀行をタダで儲けさせるために、なにゆえに国民がそんな負担を強いられなければならないのだろうか。

なお、市中銀行が保有していた国債のかなりの部分が日銀によって買い取られ保有されている。

現在(2016年6月末)、国債の保有割合は市中銀行が26%、日銀が35%である。

その分だけ市中銀行への利払いは減っていると言えるし、日銀が国債を保有する分については政府紙幣を発行したのと同じことになる。

しかし、それでもやはり不当なのは、市中銀行は公的機関である政府から国債を買い、公的機関であるはずの日銀に国債を売るだけで儲けているからである。

国債を右から左に動かすだけで儲けることができるのだが、そのような儲けを支えているのは、中央銀行が政府と分裂して存在している近代の奇妙な貨幣制度である。

あるいはまた、私たちは住宅ローンとして銀行からお金の融資を受けることがある。

しかし、それは部分的には権利上ただで受け取れたはずのお金である。

今の経済では法定準備率は低く(約1%以下)、銀行は大幅に信用創造を行うことができ、その分私たちの受け取れるはずの貨幣発行益は減らされてしまう。

逆に、銀行による信用創造が抑制されればされるほど、国民はより多くの貨幣発行益を受け取ることができる。

市中銀行による信用創造を禁止するとともに、中央銀行が発行したお金を国民に直接給付すれば、銀行が融資しているお金の相当部分を国民はただで手にすることができるようになる。

私たちは本来受け取れるはずのお金を受け取る代わりに、銀行からお金を借りてあまつさえ利子まで支払っている。

そろそろ私たちは、自分たちのあまりのお人良しぶりに自ら呆れる時を迎えているのではないだろうか。

なお、この件に関して銀行家を糾弾するべきだと私は全く思っていない。

銀行家自身がこうしたカラクリを理解しているとも限らないし、誰しも制度の許す範囲内で自分たちの利益を最大にしたいものだからである。

人を糾弾することに労力を費やすよりも、制度を変えるための努力をすべきだろう。

貨幣発行益のすべてを国民に還元するには、民間銀行による信用創造を廃止しなければならない。

ダグラスはまさに民間銀行の信用創造を廃止し、貨幣発行益のすべてを国民に配当するように提言している。

貨幣発行益を享受する権利はすべての国民が持っており、その公正な分配は国家の神聖な義務であろう。

国民のものは国民のもとへ、神のものは神のもとへ納められるべきである。

出所:ヘリコプターマネー 井上智洋 日本経済新聞出版社2016-11-24





シニョレツジ=通貨発行益

量的緩和政策によって、なぜ物価上昇率の予想(=予想インフレ率)が上がるのでしょうか。

ロジックとしては、量的緩和を行うと、予想インフレ率が上がって、実質金利が下がる、ということになります。

ここで重要なのが、量的緩和=マネーの供給増加が必然的に伴う「通貨発行益」の効果(シニョレッジ・チャンネル=Seigniorage channel)です。

日銀は日銀券=紙幣を刷ることができます(政府も通貨を刷ることができます)。

紙幣を刷ると、日銀は発行価額に対して99.8%程度の発行差益を得ることができます。

ちなみに、残りの0.2%は紙幣をつくるのにかかる費用です。

たとえば、1万円札を1枚刷るのに約20円かかるといめわけです。

ということは、1万円札を1枚刷るだけで、日銀には9980円の差益が入ります。

これが通貨発行益、英語でいうシニョレッジです。

この差益は日銀から国庫納付金となってまず政府に入ります。

そして、これは政府支出に姿を変えて国民に移転します。

簡単にいうと、お札を刷ると財政収入が増えて、それが最終的に世の中に出回るということです。

ポイントは、通貨発行益=国庫納付金が計算できるということです。

ですから、日銀の当座預金額が増えれば通貨発行益が増え、世の中に出回るお金も増えて物価が上がると、皆が予想するわけです。


実はこの話、お札をたくさん刷ればインフレになるという言い方と整合的です(正確にいえば、お札を刷ることと量的緩和で日銀当座預金を引き上げることとは、同じではありません。

しかし、通貨発行益については実質的に同じです。

そうであれば、将来を先読みして、いずれ通貨発行益が需要を押し上げるはずなので、必ずインフレになるという連想になります)。


また、通貨の供給超過は、(通貨でない)モノの需要超過になるといっても同じです。

こういう裏づけがあるから、量的緩和を行えば予想インフレ率が上がるといえるんです。

通貨の発行は日銀だけでなく、政府にもできます。

たとえば、政府通貨を発行し、その発行差益(500円硬貨で95%程度)を財源として減税することを考えれば、この通貨発行益の効果がイメージしやすいでしょう。

かつての地域振興券のような手段ではなく、通貨という全国振興券を配布すればいいわけです。

このような通貨発行益の効果は、実は海外の学者の間では常識です。

あまりに常識的なので、あえて言及されないくらいだということは、プリンストン大学時代にバーナンキ教授と話していて、私自身が気づかされました。 これが学者の念頭にさえ上らないのは、おそらく日本くらいではないでしょうか。

マンデル・フレミング理論

「景気を良くするんだったら、公共投資や減税など、財政政策という手もあるんじゃないの」と思った人もいるかもしれません。

しかし、変動為替相場制のもとでは、財政政策よりも金融政策の効果のほうが大きく、理論的には財政政策の効果はないとされています。

これは、1999年にノーベル経済学賞を受賞したロバート・マンデルと、ジョン・マーカス・フレミングの「マンデル・フレミング理論」によるもので、公共投資の効果が輸出減少・輸入増加という形で海外に流出してしまうというのがその理由です。

実際、90年代の日本で公共投資を連発したにもかかわらず、一向に景気は回復せず、巨額の国家債務だけが残ったったのも、の理論でよく説明できます、

いまだに、公共投資一本槍の政治家やエコノミストの皆さんには、ぜひこの理論を論破してもらいたいものです。

ただし、財政政策が効果を発揮するケースもあります。

それには、十分に金融緩和がなされているという条件が必要です。

つまり、ちゃんと金融政策が機能していれば、財政政策も意味をもつわけです。

この理由を簡単に説明すれば、財政政策により生じた円高を金融政策によって円安にして打ち消すことが可能だからです。

また、同じ財政政策でも、政治的な意味で考えれば、まだ減税のほうがフェアです。

公共投資は特定の業界への利益供与につながりますが、減税はすべての国民に対して公平に行われます。

ですから、私自身は財政政策をやるなら減税のほうが好ましいと思っています。

ただ、公共投資も減税も、経済的に考えればマンデル・フレミング理論によって相殺されてしまいます。

あくまで金融政策と組み合わせるという条件付きでの、減税支持です。

出所:この金融政策が日本経済を救う 高橋洋一2009-01-15 光文社





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