オズの魔法使い
金貨供給量・金本位制

財政 危機
政府の借金ゼロ
信用 創造
バブル経済
GDP
税の源泉
デフレからの脱却
日銀による意図的デフレ
オズの魔法使い
金貨供給量・金本位制
石門心学・商人道
日本的経営の原型


「オズの魔法使い」とは、デフレに陥った米国経済を巡る政治的な論争を寓話にした物語です。

南部カンザス出身の普通の人の代表であるドロシーが、金銀複本位制の導入を求める(金銀混ぜて貨幣を鋳造すべしという意見、だからドロシーは銀の靴を履いて金色の道を歩く)。

ブリキのきこりなど労働者らとともに、東の魔女(東部の銀行家ら)を退治し、バケツの水で西の魔女(干ばつ)も退治しました。

緑のドル紙幣が支配するオズ(金の重さを量る単位オンス、つまり首都ワシントンDC、すべてドル紙幣=緑色に染まっているように見える)の国へ乗り込む。

期待していたオズの魔法使い(現職大統領だったがペテン師だったことが分かり人気が急落した)にも裏切られ、結局は大統領選にも破れ、みな散り散りに米国各地へ帰っていく、という
金本位制を巡る話です。

L・フランク・バウムというジャーナリストがそれを寓話につくりあげました。

背景を知るととても面白い話です。

私(yumyum2はこの話はグレゴリー・マンキューの「マンキュー マクロ経済学 第2版〈1〉入門篇 165-166ページ」を読んで知りました。これは米国の経済学の学術論文にも書かれています。

もう少し詳細に述べると、こういうことのようです。

金本位制の欠点は、中央銀行から金融政策の裁量を奪ってしまうことにあるのです(なぜならば、中央銀行は金の量から離れて貨幣の量を調節し、自由に金利を上げたり下げたりできないから)。

1873年から1896年まで、米国で53%、英国で45%ものデフレが発生した原因は、この時期、大きな金鉱の発見がないため、世界的に金の供給量が減り、そのために中央銀行は貨幣を増やしたくても増やせなかったからです。

ここで米国で主張されたのが、米国では金本位制を廃止して、金に銀を混ぜた金銀複本位制を導入して貨幣の供給量を増やすべきだという主張です(金鉱が見つからないなら、銀も混ぜてしまえばいいという考え方)。

その意見に押されて
1896年の大統領選に立候補したのがブライアン。

この話をジャーナリストが寓話にしたのが
「オズの魔法使い」である。

舞台は
19世紀後半、アメリカのまん真中、カンザス州。

1887年に相次ぐ大かんばつに見まわれ、農民たちはそのころ南部を中心に気運が上がった銀による貨幣の鋳造に夢を託します。そうすれば、デフレを退治できると考えたからです。

このころ米国を蝕んでいたデフレは、東部の銀行家に代表されるカネの貸し手には好都合だったが、南部や西部の農家に代表されるカネの借り手には問題だった。
デフレは資金の借り手から貸し手への所得移転で、インフレは貸し手から借り手への所得移転

普通の人代表ドロシーは、竜巻に襲われ(選挙で金銀複本位制論者が大勝する夢)、かんばつに苦しむカンザスから、目もくらむほど美しいオズの土地にたどりつく。

OZとは金を量る単位のオンスのこと。

愛犬トト(禁酒党=金銀複本位制に賛同するが、いろいろわき道にそれる。

teetotalers=禁酒主義者の略)と一緒に飛ばされてきたドロシーは、東の魔女(東部銀行家による金本位制の支持者)の上に落ちてきて魔女を退治し(本当は金銀複本位制を支持すると思われていたのに支持しなかったため、ドロシーにつぶされてしまう)、魔女のもとで働かされていた普通の人々を助け出す。

ドロシーはカンザスに戻るために、エメラルドシティー(緑色一色、つまり米ドル紙幣を通じてしか物事が見えない人々の街、首都ワシントン
DC)のオズの魔法使い(大統領マッキンリー=金本位制を主張)に会いに行く。

ドロシーは魔法の銀の靴(銀も混ぜるべしという意見)を履き、黄色い(金本位制、しかしどこに行くか分からない)レンガの道を歩く(金と銀が混ざることになる)。

道中ドロシーはやさしい北の魔女(ニューイングランドのポピュリストたち)から支援を受け、頭の中身は空っぽだけど大いなる常識を備えたかかし
(農民)、心が無いことをなやむブリキ男(労働者)、臆病なライオン(金銀複本位制を唱える大統領候補ブライアン)を道連れに、4人でエメラルドシティーを目指す(大統領選で各地を遊説する)。

エメラルドシティーでオズの魔法使いに会ったドロシーは、オズからまず西の魔女(農民を苦しめるかんばつ)を退治するよう言われ、西の魔女をバケツの水で退治する(かんばつを解決する)。

いざカンザスに戻してくれるようオズに頼みに行くと、実はオズは偉大な魔法使いに見せかけているだけで、ペテン師だということが分かり、幻滅する(現職大統領マッキンリーはペテン師だったが、大統領選に勝利する)。

南の魔女(南部のポピュリストたち)の助けを借りて銀の靴を履いたドロシーは、カンザスに戻り(大統領選に惨敗して地元に戻る)、かかしはエメラルドシティーに残り(都市に出てきた農民たち)、ブリキ男は西をおさめる(西部を工業化する)。

この物語のとおり、
1896年の大統領選では金銀複本位制を唱えた農民代表のブライアンは敗れ、金本位制維持を訴えたマッキンリーが勝つ。

しかし、選挙の前後にアラスカ、オーストラリア、南アフリカで金鉱が発見され、さらに金の画期的な精錬技術が開発され、金の生産量は飛躍的に増え、これによって米国を含めて通貨の供給量が増大し、ついに
1896年から1910年までの間に米国では35%物価が上昇して”ゴールド・ラッシュ”に沸くのである。

映画ではドロシーの銀の靴がルビー色の靴に変えられていて、政治的な意味合いが薄められてしまっている。

オズの魔法使いに関する記述は(yumyum2)から転載したものです)


マザー・グースの物語」のヒットで童話作家として成功していたライマン・フランク・ボームが、自らが子どもたちに語ってきかせた物語を元に書き、19005月に出版した。

W・W・デンスローが挿絵を担当した。

凝った構成によるカラー図版の児童書は当時としては革新的であり、本はたちまち子どもたちの心をとらえ、増刷の追いつかない空前の人気作品となった。

初版の1万部は数週間で売り切り、翌年1月までにほぼ10万部が売れた。

アメリカ・カンザス州に暮らす少女ドロシー(Dorothy)は竜巻に家ごと巻き込まれて、飼い犬のトト(Toto)と共に不思議な「オズの国」(Land of Oz)へと飛ばされてしまう。

途中で脳の無いカカシ・心の無いブリキの木こり・臆病なライオンと出会い、それぞれの願いを叶えてもらうため「エメラルドの都」(Emerald City)にいるという大魔法使いの「オズ」(Wizard of Oz)に会いに行く。

「オズ」(Oz)の名の由来は、原作者ボームが近くのファイリング・キャビネットにO-Zと記されているのを見て名づけたなど、色々な説がある[1]。

[編集] 作品の政治的解釈

この作品は児童文学であると同時に、19世紀末のアメリカ経済に関する寓話とも解釈されることがある。

歴史学者、経済学者や文学者等が政治的解釈を述べているが、読者および批評家の多くは物語をそのまま楽しんできている。

ボームは
1890年代に政治的に活動はしたが、本作品の政治的解釈については、否定も肯定もしていない。

1880年から1886年にかけて、アメリカ経済は23%ものデフレーションを経験した。

これは
金本位制を採っていたアメリカ経済の拡大に対して、金貨の供給量が追いつかなかったためである。

当時の西部の農民達のほとんどが、東部の銀行からの借金で開拓を行っていたた。

デフレーションの発生は借金の実質的価値を増大させ、西部の農民は苦しみ、東部の銀行が何もせずに潤うという事態が発生した。

当時の人民主義派はこの問題について、不足する貨幣供給量を銀貨の自由鋳造で賄うことで解決するべきだと主張した。

銀と金、金本位体制を巡っての論争は1896年の大統領選挙において最も重要な論点となった。

民主党は銀貨の採用を主張し、共和党はあくまでも金本位制にとどまることを主張した。

経済史家ヒュー・ロッコフ(Hugh Rockoff)の記述では、

ドロシー:アメリカの伝統的価値観

トト:禁酒党(Teetotalers)

かかし:農民

ブリキの木こり:工場労働者

マンチキン:東部市民

臆病なライオン:1896年民主党大統領候補ウィリアム・ジェニングス・ブライアン

東の悪い魔女:第24代大統領グローヴァー・クリーヴランド

西の悪い魔女:第25代大統領ウィリアム・マッキンリー

魔法使い:共和党議長マーク・ハナ

オズ
:金の単位オンスの略号(OZ)

黄色いレンガ道:金本位体制

ドロシーは最後に、家に帰る道を見つけるが、黄色いレンガ道をたどるだけでは見つからなかった。

ドロシーは魔法使いオズが役に立たない代わりに、自分の『銀の靴』に魔力があることを知る。

結局、民主党は大統領選挙に敗れ、金本位制は維持されることになった。

1898年にアラスカのクロンダイク川で金が発見され、また、カナダや南アフリカの金の採掘量も増え、結果的に貨幣供給量は増大し、デフレは解消されてインフレ傾向となり、農民は借金を容易に返せるようになった。 としている。

もっとも、ボームに関する伝記作家や研究者は、そうした政治的解釈には否定的である。

この作品の出来た背景についての詳細がボーム自身の日記に残されている上、ボームは時に政治的ではあっても、そうした比喩による現代風刺には無関心だったからである(もっとも高い知名度ゆえに、ドロシーたちは新聞の風刺漫画のネタに度々使われてはいたが)。

時に皮肉と解釈されることもあるが、本作の序文でも「ただ今日の子供を喜ばせる為に書いた」と明言している。

先のヒュー・ロッコフの説については、ボームがその政治活動においてシルバリズム(silverism)に反対するメンバーの一員であり、アメリカ経済に関して共和党の考えに賛同していたという反論が、歴史家デビット・B・パーカーになされている。

ちなみに黄色いレンガの道に関しては、由来となった建物がボームの別荘があるミシガン州内の公園に実在する。


オズの魔法使い(The Wonderful Wizard of Oz)はライマン・フランク・ボーム(Lyman Frank Baum)を著者とする、児童文学小説。

カンサスの農場に住む少女ドロシー(ジュディ・ガーランド)はある日愛犬トトが近所のミス・グルチからいじめられたといって泣きながら帰ってきた。

誰も相手にならないので、トトと家出して、田舎道を歩いていると家出を見破った占師マーヴェル(フランク・モーガン)から伯母さんが心配して病気になったといわれた。

家へ帰ると、折から大龍巻が襲来して農場は大騒ぎ、こわくなってベッドにうつぶせになっていたところを、風で外れた窓が彼女の頭をしたたか打った。

ふと気づくと、ドロシーは家もろとも大空高く吹きあげられ、やがてふわりと落ちたところはオズの国。

シャボン玉から現われた北の仙女グリンダから、ここは小人の町だと教えられ、ドロシーの家が落ちて悪者の東の魔女が下に押しつぶされたと告げられた。

そこにグルチさんそっくりの東の魔女の妹西の魔女が現れ、姉の形見のルビーの靴を持って行こうとした。

靴はいつの間にかドロシーの足にはまっており、魔女はグリンダにはかなわないと逃げ出した。

グリンダは魔女の復讐がドロシーに向けられるのを心配して故郷へ帰るよう勧めたが、それにはずっと離れたエメラルド・シティに住むオズの魔法使の力を借りなくてはならない。

小人たちに見送られて、ドロシーとトトは、途中、彼女をいつも可愛がってくれた農夫ハンクそっくりの、脳みそをほしがっている案山子と、ヒッコリー瓜二つの、鍛治屋が心を入れ忘れたブリキ人形と、ジークそっくりの臆病なライオンを仲間に加えた。

エメラルド・シティの見えるケシの花畑に達したところ、西の魔女の魔術にかかってドロシーとライオンは眠ってしまった。

グリンダの力で目がさめて、待望の城内に入り、オズの王様に対面すると、皆の望みを叶えてやるかわりに西の魔女の箒を持ってこいと命じられた。

早速ドロシーたちが魔女の城へ向かったところ、途中、森の中で猿の軍勢に襲われ、ドロシーとトトは魔女の城の一室に閉じ込めらた。

臆病ライオンまでが勇みたって城内に突進してドロシーを救い出したところがまた魔女に捕らえられ、藁で出来た案山子が焼かれそうになった。

ドロシーが水をかけて彼を救い、その水がかかった魔女はとけてしまった。

一同は箒を持ってオズの王様のところへ行くと、占師マーヴェルそっくりのオズの魔法使が「案山子は旅の困難を切りぬけようと頭を使い、ライオンは危険に立ち向かい、ブリキの人形はドロシーの運命に涙を流したから願いは果たされた」と言った。

ドロシーには一緒に気球でテキサスへ帰ろうといったが、出発間際ふとしたことから気球は魔法使いだけを乗せて舞い上がってしまった。

ドロシーが悲しんでいると、仙女グリンダが現れ、彼女の願いを叶えてくれることになり、ドロシーは仲間に別れを告げて目を閉じた。

やがてドロシーが目を開けると、伯父伯母をはじめ、ハンク、ヒッコリー、ジーク、マーヴェルが傍にいたが、彼女にとって皆がオズの国で一緒だったことを覚えていないのが不思議でしょうがないのだった。

「マザー・グースの物語」のヒットで童話作家として成功していたライマン・フランク・ボームが、自らが子どもたちに語ってきかせた物語を元に、1900年5月に出版した児童書。

W・W・デンスローが挿絵を担当した。

凝った構成によるカラー図版の児童書は当時としては革新的であり、本はたちまち子どもたちの心をとらえ、増刷の追いつかない空前の人気作品となった。



クルーグマンから見た「オズの魔法使い」

6月から始まる劇団四季のミュージカル「ウィキッド」は、オズの魔法使いの話を下敷きにしている。

このオズの魔法使いという話は、19世紀の米国のデフレをめぐる話だということはマンキューの本を読んで知って、昨年1月のブログに書いたけど、クルーグマン&オブズフェルドもオズの魔法使いのことを書いている。ちょっとみてみよう。

米国は南北戦争までは金銀複本位制を採用して、金貨と銀貨を並行して使用していたが、
1879年から金本位制を採用した。

しかし世界的に金が不足したため、金貨に鋳造する金がなかなか手に入らなくなって、米国はデフレに陥ってしまった(商品の値段が高くなるとそもそも金貨が不足しているから商品が売れなくなる。したがって商品の値段が下がり始めて、デフレになる)。

米国の物価は
1869年から1896年までに27年間で40%も下がってしまった。

農作物の値段が急落したために、農民の被害は特にひどかった。

1890年代、農民、炭坑労働者らが南北戦争前の金銀複本位制の復活を目指して大規模な運動(ポピュリスト運動)を展開し始めた。

銀は豊富にあるので、金貨と銀貨が並行して流通するようになれば、貨幣をたくさん鋳造することができ、そうすると商品の値段は下げなくても売れるようになるので、デフレが止まりインフレになる。

彼らは昔のレートである金1に対して銀
16とするレートにすることを求めた。

しかし
1890年代初期には、市場価格は金1に対して銀30となっていた。

ポピュリストたちは、金1に対して銀16となれば、銀の価値が上がるので、人々が金を売って銀を買い求めようとするだろうから、そうしたら市中に集められた金を鋳造して金貨をつくろうとしたのである。

そうすれば、農民やその仲間たちに有利な状況が訪れることが期待できた。

たとえば数十年間にわたって悪化していた交易条件を元に戻すことができ、農民の不動産抵当負債の実質残高を減らすことができるだろうと考えたのである。

西部の銀鉱山経営者は特に熱心だった。

一方、東部の金融関係者は、純粋な金本位制こそが米国を世界経済に結びつける制度として不可欠であると考えていた。

金銀複本位制の復活運動は、民主党の大統領候補ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが「国民を金の十字架に掛けるな」と述べた有名な演説を行った1896年に最高潮に達した。

しかしその頃、南アフリカ、アラスカなどで金鉱が発見され、金貨の鋳造が増えたために、世界的なデフレ傾向が収束するようになり、金銀複本位制を求める運動も退潮した。

ブライアンは
1896年、1900年の大統領選にやぶれ、1900月、議会は金とドルを固定させる金本位制の法律を制定した。

現代の読者は、フランク・バウムの1900年の児童書「オズの魔法使い」が、米国の金本位制を巡る政治闘争のたとえ話であることには気付かない。

黄色い煉瓦の道は金を巡るインチキな公約を表し、「オズOz」という名前は金の重さの単位オンスOzを表し、映画ではルビー色に変えられてしまっていたドロシーの銀の靴は、負債にあえぐ農業州カンザスへ戻る道を指し示している。

金銀複本位制復活運動が盛り上がったのは、農民の負債問題が原因であると言われているが、実は、非貿易財に対する農作物や鉱石の値段をつり上げたいという農民や鉱山経営者の思惑の方が重要だったという指摘が、最近なされている。

製造業の経営者はデフレに対する埋め合わせとして、輸入品に対抗するための関税障壁を設けてもらうことができた。

だから彼らはあまり通貨制度には関心がなかった。

しかし米国は一次産品の純輸出国だったので、農民や鉱山経営者には輸入品に対する関税障壁は何の利益ももたらさなかった。

しかし、金銀複本位制を採用して米ドルが減価すれば、非貿易財に対する、農作物や鉱石といった一次産品の貿易財の国内価格が上昇していくことが期待できた。

金融システムと比較した議会の投票行動を注意深く数量分析することによって、金銀複本位制復活を求める議会の行動と農民の負債は関係なく、農業や鉱業の雇用と深い関係があることが分かってきた。

("International Economics Theory & Policy 7th edition" Paul R. Krugman and Maurice Obstfeld, 2006)

農民や鉱山経営者は、金銀複本位制を採用することによって、非貿易財に対する一次産品の価格を引き上げることが目的だったという。

これはデフレ経済下でのリフレ政策を求めることと同じである。

1890年代の米国経済は開放経済なので、金本位制か金銀複本位制かという金融政策を巡る論争は、開放経済モデルで考えないといけない。

つまり、金本位制なので、各国は自国の通貨を金の重量に固定させている。

だから基本的には貿易財の国際価格は金の重量で表される。

もしドルが金に対して減価すると、金の重量で量る貿易財の国際取引価格は変わらないが、ドル換算の価格は上昇することとなる。

だから、金銀複本位制を採用することによって、ドルが減価すれば、非貿易財に対する一次産品貿易財の価格が上昇し、農民や鉱山経営者は補助金を受け取るのと同じような意味になる。

だから、農民や鉱山経営者が金銀複本位制を強く要求したということのようだ。

これまでは、金銀複本位制の導入によってインフレを起こして、負債を抱える農民たちの実質負債残高を減らすことがポピュリストの政策目的であったと考えられていた。

そうではなく、一次産品の貿易財の非貿易財に対する相対価格を引き上げることが目的であったということだ。



金本位制のもとで起こった大恐慌


まず、あとの場面の意味がわかりやすくなるように、大恐慌が起こった時代の世界経済の仕組みと、大恐慌が起こったメカニズムとを簡単に説明しておきます。

最近は「インフレ目標」のように、大恐慌のときにはじめて用いられた経済政策が、平成不況の処方箋として持ち出されることもあります。 

それが本当にいまの日本で有効かを考えるためにも、いまと当時の、経済の仕組みの違いを認識することが必要です。

金本位制の第1の性質

今日との大きな違いをみると、大恐慌が勃発する1920年代から30年代ごろまでは、主要国は「金本位制」を採用していました。

これは、必ずしも、金貨だけが支払手段であったという意味ではありません。

製造コストの点でも、携帯の便利さの点でも、金貨よりは、紙幣、硬貨、小切手の書ける当座預金のような「信用通貨」のほうが便利だから、こうした「信用通貨」を支払手段として使います。

「信用通貨」を一定のレートで金と兌換することを政府(中央銀行)が保証するというのが、「金本位制」 の仕組みでした。

具体的には、中央銀行は、「現金」と「中央銀行におかれた当座預金勘定」を合計した
「マネタリー・ベース」に対応する「金準備」を持ち、一定の交換レートで免換の要求に応じるのです。

しかし、マネクリー・ベースに対して、つねに100%の金準備が持たれていたわけではありません。

通常は、金準備率の下限が40%ぐらいと決められていた。

簡単な例を使って説明するとこうなります。

いまここに、100キロの金塊が日銀の金庫にあったとしましょう。

日銀は、金の価格を1キロ=1億円と評価していたとします。

したがって、金庫のなかにある100キロの金塊は、日銀の100億円分の金準備というわけです。

すると日銀は、100億円の金準備に対して、2.5倍にあたる250億円まではマネタリー・ベースを増やすことができます。

なぜなら250億円のマネタリー・ベースの
40%が、ちょうど100億円という金準備の価値に等しいからです。

マネクリー・ベースは一国のマネー・サプライを決めるのに重要な働きをするから、これは金本位制のもとではマネー・サプライの規模が拘束されていることを意味します。

これが、金本位制の持つ、第1の重要な性質です。


金本位制の第2の性質

ここでもう一つの国アメリカを話に入れることにしましよう。

アメリカの中央銀行である「連銀」も、やはり100キロの金塊を持っているとします。

連銀は、1キロ=100万ドルの価格で金塊を評価しています。

したがって、100キロの金塊はアメリカのドルの金準備です。

同じ1キロの金塊が、アメリカでは100万ドル、日本では1億円というわけですから、ドルと円の交換レートを考えた場合、100万ドル=1億円、すなわち1ドル=100円という為替レートが算出される。

これが公定相場です。公定相場は、すぐ後でみるように、現実の為替レートに影響を与えますが、現実の為替レートそのものではありません。

現実の為替レートを決めるのは、外貨の売買を実際に行う為替市場です。

為替市場で、今、1ドル=100円という公定相場のかわりに、為替市場ではかりに、1ドル=50円という、公定相場の半額の円でドルが買える為替レートがついていたとしましよう。

つまり、為替市場は、公定相場とくらべて、ドルが安く、円が高い。そうであったとすれば、いったい、何が起こるでしょうか?

こんなときには、リスクの一切ない、ポロ儲けができることになります。

つまり、1ドル=50円の為替レートが成立している為替市場で50億円を出して1億ドルを買い、それでアメリカの連銀から100キロの金塊を残らず買い取るのです。

次にその金塊を日本に輸出するのです。

そうすると、日銀は1キロ当たり1億円、100キロなら100億円で金を買い取る公約をしているから、そのとおりに買いとってもらって100億円を手にすることになります。

つまり、この取引によって、50億円の元手が100億円になります。

しかしこれでは、金が日本に輸出されて、アメリカの連銀の金庫には金塊が空になり、アメリカは金本位制を続けていけなくなります。

もう一つ。為替市場では1ドル=200円というような、公定相場とくらべて、ドル高・円安の為替レートが成立していたとしましよう。

このときは、逆の方向に金を輸出すれば、やはりリスクのないポロ儲けができることになります。

つまり、為替市場では1ドルが200円になるわけですから、5000万ドルを出して100億円を買い、それで日銀の金庫にある金塊を残らず買い取り、アメリカに輸出して、連銀に売りつければよいのです。

アメリカの連銀は100キロの金魂を1億ドルで買う約束です。

これで元手の5000万ドルが、その倍の1億ドルになります。

つまり、金本位制のもとでは

(1)金の輸送費がこうした金塊の輸出をともなう取引が割に合わなくなるほど高いか、そうでなければ、金の輸出が禁止されている、のどちらかでないかぎり、為替市場では公定相場より大幅に安くなった通貨を持った国からは、金が流失するのです。

だから、為替レートを公定相場から大きくはずれないようにしないかぎり、金本位制は維持できないわけです。

要するに、世界経済において金本位制が維持されるかぎり、為替レートは公定相場の近傍の値をとり、安定的になります。

これが
金本位制の持つ、第2番目の重要な性質です。


金本位制の第3の性質

為替レートがほぼ固定されることは、各国の物価水準にも影響を持つことになります。

話をわかりやすくするために、日本もアメリカも、何か一つの同じ商品、たとえば、「ボールペン」だけを生産していたとします。

はじめの状態では、「ボールペン」 の価格は日本では100円、アメリカでは1ドルだったとしましよう。

このとき、1ドル=100円が公定相場であり、同時に為替市場で成立している為替レートであったとしてみます。

そうであるなら、「ボールペン」は両国でまったく同一価格になるから、何の不都合も生じません。

この場合、「ボールペン」という同じものが世界中で同じ価格で売られることになりますが、その状態を指して「購買力平価条件が成立している」とも言います。

ところがいま何かの事情で、1ドル=100円という公定相場と為替レートは変わらないが、日本にインフレが起こって、「ボールペン」の価格が200円まで上がったとしましよう。

1ドル=100円の為替レートのもとでは、1ドルのアメリカ製「ボールペン」を日本において1本=100円で売っても、もとがとれるのだから、アメリカからの輸入が急増し、日本製品はまったく売れなくなることになります。

アメリカからの輸入の支払いにはドルが必要です。そのドルを為替市場で購入するために、ドル買いの需要は強くなります。

ところが、日本からは輸出してドルを稼ぐことができないために、ドル供給は少なくなります。

為替市場では需要が多く、供給が少なくなったドルの価値が上がって、ドル高・円安の傾向が生じます。

ところが、1ドル=100円という、公定相場から大きくはずれて、ドル高・円安になるならば、先ほどみたように、日本の金準備が大量に流失します。日銀はそれをストップするような政策を打たなければなりません。

「ボールペン」の価格が200円にもなるインフレが問題の根本ですから、今度はデフレを起こして、「ボールペン」の価格を100円に戻す必要があるわけです。

そのためには、マネタリー・ベースを縮小させなければなりません。

というわけで、金本位制度は、高インフレ国に金流出の圧力をかけて、高インフレ体質を改めさせる効果もあります。

金本位制度のもとでは、物価水準が比較的安定していたといわれるのはこのためです。

これが
金本位制度の持つ第3番目の重要な性質です。


世界各国は続々と金本位制へ復帰

しかし、ここからが大事なのですが、緊急に財政支出を増やさなければならない場合、または国内不況が深刻な場合、政府はマネクリー・ベースを増大して、なおかつインフレを放置せざるをえないことがあります。

じつは、20世紀が進むにつれて、金本位制の存続がむずかしくなった理由はこれです。

第1次世界大戦 (1914〜1918年) がその転換点でした。

5年にも及んだこの巨大な世界戦争を遂行するために、各国とも財政支出が膨張しました。

しかし、徴税の仕組みをそれにあわせてレベルアップすることができなかったために、いきおい
財源を求めて、国債の中央銀行引き受けが行われました。

つまり通貨が増発されたのです。

一方で生産は増えないので、生産にくらべて過剰なマネー・サプライが、インフレを発生させました。

こうなると、金本位制を続けていたのでは、金がどんどん流失するから、第1次世界大戦にかかわった主要国は、つぎつぎと金本位制を離脱しました。

金の免換を停止するか、または金の輸出を禁止したわけです。

第1次世界大戦が終了しても、金本位制の停止はしばらく続きました。

戦争が終われば終わったで、復興費、賠償金、戦時債務の返済、などの財政支出を膨張させる材料があります。

しかも、物価水準も膨張していたので、早急に金本位制へ復帰することは難しかったのです。

ところが、金本位制がなくなってみると、為替レートは変動するし、インフレ率も高くなります。

ドイツやフランスのように、ハイパー・インフレや高率なインフレを経験する国も出てくるなど、いろいろな問題が発生しました。

そのため、先進国では、金本位制への復帰を望む声が日増しに強くなってきました。

これを受けて、
1919年のアメリカを皮切りに、1924年のドイツ、1925年の英連邦、1928年のフランスと、主要国は続々と金本位制に戻りました

旧平価解禁ではデフレが起こるのです

最後に日本だけが残された形になりましたが、その日本も、1930年1月、つまり前年10月にウォール・ストリートの株価大暴落が起こり、世界経済がすでに不況に突入した段階になってから「金解禁」、つまり金輸出を再自由化する政策を発令しましした。

日本における政策論争の焦点は、まさにこの判断の是非にありました。

このとき、第1次世界大戦前の旧公定相場、つまり、かつてと同じ金の党換レートによって金本位制への復帰が行われたが、それが問題でした。

金本位制を離脱していた期間におけるインフレの進行に、国ごとの大きなばらつきがあったからです。

先ほどの 「ボールペン」 の例でいうなら、アメリカのインフレ率はゼロで、「ボールペン」は1本=1ドルである一方で、日本では100%のインフレが進行して、1本=200円になったような場合を考えればよいのです。

このとき、為替レートが1ドル=100円ではなく、1ドル=200円という大幅な円安になっていたなら、アメリカで1ドルの 「ボールペン」は、このレートで挽算して、日本では200円だから、日本の200円の 「ボールペン」が競争力を失うこともなく、貿易上の問題はありません。

もちろん、1ドル=100円の公定相場にしたままで、金の輸出を自由に認めれば、これだけ為替レートが円安になった場合、日銀の金の在庫はなくなります。

だが、
金輸出が禁止されていれば、この為替レートでも問題はないのです。

しかし、どうしても金輸出の解禁をしたいというのなら、一つの方法があります。

金の兌換レートを1キロ=1億円から、1キロ=2億円へと引き上げればよいのです。

この再評価によって公定相場も1ドル=200円となるから、1ドル=200円という購買力平価条件が成立する為替レートと一致します。

だが、あくまでも、金評価を1キロ=1億円にしたままで、どうしても金輸出を解禁しようとするならば、そのままでは金の流失が起こるから、あまりよい手段とはいえません。

しかし、先ほどみたように、マネタリー・ベースを減らし、
デフレを起こして、「ボールペン」 の価格を無理にでも現状の200円から100円まで引き下げる以外に残された方法はありません

これがあまりよい手段ではないというのは、デフレを起こせば不況になるからです。


金本位制を離脱した国から回復

1925年に、イギリスの蔵相ウィンストン・チャーチルが、第1次世界大戦前の金の党換レートで金本位制に復帰する決定を下したとき、ケインズはそれを批判しました。

その批判はまさにこの点に向けられていたのです。

ケインズの計算によれば、旧金兌換レートに戻るためには、イギリスの国内物価水準を10%から15%くらい引き下げなければならないのです。

もちろん、「商品価格」、「家賃」、「賃金」などを同時に同率で引き下げられれば、誰も揖をせず、不況も生じません。しかし、
物価の同時調整は現実には困難です。

とくに、「賃金」 の引き下げがきわめて困難なことは知られています。

したがって、「商品価格」の引き下げができても、「賃金」は据え置きとなります。

そうなると、労働力を雇用するコストは割高となりますから、解雇が進むことになります。

そういう理由で、
旧金党換レートで金本位制に復帰すれば不況になると、ケインズは予言しました

実際、その予言どおりになりました。

金本位制への復帰により、もう一つの憂慮すべき問題が生じました。

1929年10月に起こったウォール・ストリートの株価大暴落をきっかけにした世界不況に歯止めをかけるためには、
金融緩和によるマネー・サプライの増加が必要でした。

つまり、マネー・サプライの増加は、物価上昇を引き起こしますが、失業が深刻なときには、賃金はすぐに上昇しないので、労働力が割安になって雇用が回復するのです。

ところが、世界不況が起こった時点で、主要国はすでに金本位制に復帰していたのですから、先ほどみたように、マネー・サプライを増やそうにも、そのきっかけとなるマネタリー・ベースの拡大ができないのです。

これが
憂慮すべき問題というわけです。

主要国は、不況対策を模索する過程で、つぎつぎと金本位制を再停止しました。

それによって、金融政策のフリーハンドを獲得した国から順番に、不況を克服したのです。

これが、「大恐慌」 が克服された経過です。

経済論戦は甦る 竹森 俊平より
第4回「読売・吉野作造賞」の受賞作は、慶応義塾大学教授・竹森俊平氏の著書『経済論戦は甦る』(東洋経済新報社刊)、竹森氏の作品は、1930年代の「大恐慌」の経済学者フィッシャーとシュンペーターの経済理論を今日の日本にあてはめた、不況克服についての論考である。









歪んだお金〜ジョン・ロックの狂気〜

グレシャムの法則というものがあります。

グレシャムの法則とは、「貨幣(硬貨)の額面価値と実質価値に乖離が生じた場合、より実質価値の高い貨幣が流通過程から駆逐され、より実質価値の低い貨幣が流通する」という定説になります。

分かりやすく書くと、1万円金貨を「1000円分の金」と「1万円分の金」で鋳造した場合、流通するのは「1000円分の金で造った金貨」のみになってしまうのです。


いわゆる悪貨が良貨を駆逐する、というわけですね。

1万円分の金で造られた金貨がどうなるかといえば、もちろん「金の延べ棒」に鋳造しなおされ、国内や外国の市場で売り払われるわけです。

あるいは、1万円金貨ではなく、「1万円分の金」として退蔵されてしまいます。

人々は「悪貨」を流通させ、「良貨」を手元に置いておくようになっていきます。

この時点で、もともとのお金の本質が歪められているのが分かります。

本来、お金とは硬貨の金属価値とは無関係で、単なる「記録」だったのです。

それが、貴金属で硬貨が発行されるようになって以降、いつの間にか「お金の金属価値が重要」と、人々が考えるようになっていきました。

さらには、紙片に通貨価値を印刷した「紙幣」までもが、何らかの貴金属を担保にしなければ、発行できないと「考えられる」ようになってしまったのです。

紙幣の担保、あるいは裏付けが貴金属では、「貴金属が十分に産出されない限り、お金を発行できない」という話になってしまいます。

近現代に至ってもつい最近まで、具体的には1971年8月15日のニクソン・ショックまで、実際に「お金(ドル)の裏付けは、金である」という神話が信じられていました。

1944年のブレトンウッズ会議において、金1オンスが35ドルのアメリカ・ドルを基軸通貨にすることが決定されました。


さらに、各国は対ドルで固定相場制を採用したため、例えば日本の場合は、1ドル360円=金35分の

1オンスという形で、お金の価値が固定化されてしまったのです。

ニクソン・ショック前には、アメリカは恒常的な貿易赤字国になりました。

アメリカは、膨張する輸入の代金支払いとして、次々にドルを発行していきます。

膨れ上がるドルの裏側に、本当に「1オンス=35ドル」の金が存在したのか。

もちろん、ありませんでした。

世界の金産出量は、アメリカのドル発行を裏付けるほどに存在するはずがなかったのです。

というわけで、主に旧西ドイツやフランスが、対米輸出の代金として支払われるドルの裏付けとして「十分な金」が存在しているのかどうかを疑問視するようになっていきます。

結局、リチャード・ニクソン大統領が1971年8月15日に、米ドル紙幣と金の兌換を停止。

金本位制がようやく終わり、お金は本来のあるべき姿に戻り、いわゆる管理通貨制度の時代が始まりました。


あらためて考えると、本当に不思議な話なのですが、人類は歴史的に「お金の価値は、貴金属に裏付けられる」という考え方を支持してきました。

いや、支持するというよりは、それが至極当然のこと、当たり前の常識であると認識してきたのです。

先に「本位貨幣」という言葉を用いました。

本位貨幣とは、商品としての金属価値が、貨幣としての価値と同一になる貨幣のことになります。

すなわち、1万円金貨であれば、「1万円分の金としての価値」を持っていなければならないわけです。


金や銀などの実物資産と、貨幣の単位を「同一」にしなければならないとは、本当に不思議な発想です。

何しろ、金にせよ、銀にせよ、価格決定権は市場にあるのです。

市場において、金の需要が大きくなれば、貨幣(硬貨)の物質的な市場価格は上昇します。

金の価格が上昇すれば、政府はその金を用い、より高額な貨幣(硬貨)を鋳造できるという話になります。

逆に、金の価値が下がると、政府が発行する硬貨の額面価値を下げなければなりません。

あるいは、金属硬貨には「摩耗」という問題もあります。

例えば、1万円の金で1万円金貨を鋳造したとしましょう。

金貨に限らず硬貨は、使用しているうちに摩耗していかざるを得ません。

例えば、1万円金貨がすり減り、発行された時点と比較して5%、質量が減ってしまつたとしましょう。

金貨の「金の価値」とお金の価値を合わせるのであれば、その時点で1万円金貨は9500円金貨としなければならないわけです。

とはいえ、もちろんそんな手間暇がかかることはできません。

5%の金が喪失したとしても、現実的には1万円金貨は「1万円の価値があるお金」として流通します。


すると、悪いことを考える人が出てくるわけです。

1万円金貨は、果たして「どの程度の摩耗」まで、1万円分のお金として流通し得るのでしょうか。

その「ぎりぎりの線」を探りつつ、金を削り取る。

削り取った金を、貴金属として売り飛ばすと、儲かってしまうのです。

あるいは、金銀といった「貴金属イコールお金」としてしまうと、国家間のパワーゲームにも影響が生じます。

貴金属の「量」が、お金の量を左右してしまうのです。

何らかの理由で、国内もしくは「外国の植民地」から大量の金銀を採掘できる国があったとすると、どうなるでしょうか。

もちろん、その国は他国に比して相対的に多額の「お金」を発行できることになります。

多額のお金を発行できるということは、軍事力に対し、より多額の支出が可能という話です。

結果的に、その国は本来的な経済力、国力とは無関係に、採掘された貴金属の量に依存する形で国際的なパワーを高めていきます。


上記の話には、実例があります。

16世紀に実際に起きた史実ですが、アメリカ大陸を植民地としたスペインやポルトガルが、膨大な金、銀をヨーロッパに運び込んだのです。

両国政府は、他のヨーロッパ諸国と比べ、より多量の貨幣を発行できるという話になってしまいました。

金銀=貨幣という前提が成り立つならば、国家が富んでいるか否かは、その国が貯蔵している金、銀の量によって決定されることになってしまいます。

すなわち、国家を富ませたいのであれば、可能な限り外国から金、銀を自国に流入させる必要があるという結論になるわけです。

お金の歪みが、拡大していきます。

上記の考え方が、いわゆる「重商主義」になります。

実は、重商主義は前期において「重金主義」と呼ばれていました。

『国富論』を書いたアダム・スミスは、重商主義について以下の通り解説しています。

「富者の場合と同様に、富国とは貨幣が豊富にある国のことだと考えられており、また金銀をある国に蓄蔵することが、その国を富ませるもっとも容易な方法だと考えられている」

整理しますと、本来は単なる「債務と債権の記録」にすぎなかったお金が、リディア王国のエレクトラム硬貨発行以降、

●硬貨は、材料である貴金属の価値が担保になっている

●紙幣を発行する場合も、同じ価値の貴金属が貯蔵されていなければならない

●貴金属の量が、お金の発行量を決定する

●国家の力は、産出(もしくは収奪)する貴金属の量に依存すると、「考え方」が歪められていったのです。

特に、国家が「お金の需要」と無関係に硬貨や紙幣を乱発するようになり、お金の価値が下がるインフレーションが頻発するようになって以降、上記の考え方が「人類の常識」と化していきます。

結果的に、イギリスでとんでもない人物が登場します。

すなわち、ジョン・ロックです。

17世紀のイギリスの政治哲学者であったロックは、自由主義的な政治思想を打ち立て、イギリス名誉革命に大きな影響を与えました。

また、ロックの抵抗権などの考え方は、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言にも取り入れられます。

政治思想面では大きな業績を残したロックですが、こと「経済」「お金」に関する考え方は、滅茶苦茶でした。

何と言いますか、狂信的な「金属主義」としか呼びようがないものだったのです。


ロックが生きた時代は重商主義の真っ盛りでした。

厳密には、先にも登場したように「重金主義」と呼ぶ方が相応しい時代です。

ロックは、イギリスの保有する「貨幣=貴金属」の量が他国と比べ相対的に少なくなり、国力が下がるのを恐れました。

ロックは語ります。

「貨幣はまた隣邦諸国の貨幣の豊富さにある程度比例を保ってわが国に存在することが必要である。

というのはわが国のいずれかの隣邦がわが国よりはるかに豊富な貨幣を持っているとすると、われわれは彼らからさまざまな形で危害を受けやすいからである。

第1に、彼らはより強大な軍事力を維持しうる。

第2に、彼らはより高い賃金でわが国の人民を誘い出し、彼らに陸上か海上で何らかの労働を提供することができる。

第3に、彼らは市場を支配し、それによってわが国のトレードを破壊させ、われわれを貧乏にすることができる。


第4に、彼らはいかなる時機にも陸海軍需品を買占め、それによってわが国を危機に陥らすことができる」(埼玉学園大學紀要第10号「ロックの貨幣数量説」奥山忠信)


ロックの頭の中では、お金は「債務と債権の記録」でも何でもなく、貴金属の「重さ」そのものであり、さらには貴金属の保有量が国力を決定することになっていたわけです。

ロックは貨幣の機能について、「計算用具」および「保証物」の2つの役割を持つと解説しています。

計算用具とは、要は「通貨単位」のことです。


通貨単位が存在しなければ、商売や交易の際に大変不自由なことになります。

通貨単位があるからこそ、私たちは各種のモノやサービスについて「価格」を認識することができるわけです。

さらに、「保証物」が何かといえば、ずばり貨幣に使われている貴金属の「重さ」のことでした。

当時のイギリスは銀貨が主流だったため、「銀の重さ」こそが貨幣が内在する価値であるとロックは説いています。


本来、貨幣なりお金なりが持つ内在的な価値とは、購買力であるはずです。

1万円のお金で、どれだけの「量」のモノやサービスを買えるのか。

これが、お金の価値です。

お金の価値が下がるインフレとは、例えば1万円札ならば、その紙幣で買えるモノやサービスの量が減っていくという話になります。

ところが、ロックに言わせると、貨幣の持つ内在的な価値は「貴金属の重量」になってしまうのです。

ロックは解説します。


「貨幣の内在的価値を形成する銀は、それ白身と比較される場合、その国あるいは別の諸国のいかなる刻印または呼称によっても引き上げられることはない」(同)

「銀はそれゆえ常に銀と同一の価値を持つので、銀貨と比較した銀鋳貨の価値は、その中に含まれている銀が多いか少ないかあるいは等しいかに応じてのみ、大きくも小さくもなる」(同)

商品は銀の「重さ」で価値が決まる。

すべては、銀の分量が前提になる。

銀貨が持つ購買力も、市場における評価ではなく、「貨幣の銀の分量」が決定する。

別に、銀貨の持つ呼称単位が貨幣の価値を決めているわけではない。

ロックには、1ポンド銀貨とは、「1ポンド分の銀の量」を示す客観的な基準でしかなかったのです。

ロックの貨幣観が、まさしく「金属主義」だったことが分かるでしょう。

そして、ロックはイギリスが外国からより多額の貴金属(貨幣)を獲得するために、重商主義を説いたのです。


国家の国力が、保有する貴金属の重さで決まるのであれば、重金主義は正当化されることになります。

ロックの考え方は、お金について勘違いをしている多くの民衆にとって、実に受け入れやすいものでした。


私たちは「目で見えるもの」を信じる傾向があります。

本書で解説している通り、お金の本質は「債務と債権の記録」と言われても、すぐにピンとくる人は少ないでしょう。

それに対し、硬貨などの貨幣は「目で見える」のです。

その硬貨の原材料となっている「銀の量」「金の量」がお金の価値を決定すると言われれば、「それは、その通りだな」と、むしろ納得させられてしまいます。

と言いますか、分かりやすいのです。

銀貨の価値は、その銀貨が含有する銀の量によって決まる。

銀の量は「目で見える」のです。

銀貨に刻印されている数字という抽象的概念に比べ、銀貨の量は一目で分かる」わけです。

しかも、銀貨の価値が銀の量によって決定されるとなると、「銀貨を鋳造している領王や政府が存在しなくなったとしても、この銀貨には『銀』という貴金属としての価値がある」という話になります。

銀貨を貯めることは、「銀を蓄積する」とイコールになりますので、さぞや貯金のし甲斐があったことでしょう。

国民は銀貨を、ダイヤモンドやサファイアといった宝石と同じ感覚で貯め込むわけです。

とはいえ、ロック式の重金主義、あるいは金属主義が蔓延してしまうと、国家の経済は悲惨なことになります。


そもそも、貨幣の量が国力であるなどと規定してしまうと、アメリカ大陸の金銀資源を独占しているスペインやポルトガルには、まず勝てないわけです。

しかも、当時のイギリスは外国からの輸入品が増加し、貿易赤字の状況にありました。

外国からの輸入が輸出を上回っているため、イギリスからは金や銀といった貴金属が流出していかざるを得ません。
そして、当時のイギリスは銀貨の摩耗どころか、盗削に悩まされていました。

たちの悪い連中が銀貨の縁を削り取り、切断し、溶解し、かすめ取った銀を転売してしまうのです。

とはいっても、銀が不足していたイギリスでは、縁が削り取られた銀貨が普通に額面通りに流通していました。

お金の本質を考えれば、別にそれで構わなかったわけですが、ジョン・ロックにとっては違いました。


議会に呼ばれ、銀貨の摩耗や盗削問題について意見を求められたロックは、銀貨の価値を「銀の量」と同じくするべく、大改鋳を行うことを提案。

驚くべきことに、イギリス議会はロックの提言通り、銀貨の額面と銀の量を同一にする改鋳を決断しました。

1696年1月、イギリス議会は摩損した、あるいは盗削された硬貨については、1996年6月以降は法定貨幣として認めないこととする法律を発令。

破損した硬貨を持つ者は、期限までに税金の支払いなどに充て、使い切ることを求められました。

イギリス中から摩耗した、あるいは破損した銀貨が回収され、「正しい銀の量」となる銀貨へと造り直されました。

結果、470万ポンド相当の硬貨が回収され、250万ポンドの銀貨へと鋳造される形になったのです。

なぜ、お金の量が一気に減ってしまったのか、別に説明は不要でしょう。


さらに悲惨なことに、イギリスで新造された銀貨は、「銀の量」が外国の相当額面を上回っていたのです。

1ポンドの銀貨を外国に持ち出すと、1ポンド以上の価格で売れ、利益が出てしまったのです。

当然の話として、イギリスからヨーロッパ諸国へ銀貨が「輸出」されていくことになります。


イギリス国内の銀の量は、ますます枯渇していきました。

とはいえ、ロックの思想に支配された当時のイギリスは、必要な量の銀なしでお金を発行することはできません。

1ポンド銀貨を発行するためには、1ポンド分の銀が必要なのです。

結果、どうなったか。イギリス国内の貨幣は瞬く間に払底し、経済はデフレーションに突入してしまいました。

物価は下落し、人々は貧困化し、外国との貿易も縮小。

当時の生き証人であるエドマンド・ブーンは、1696年7月に作成した報告書に、「どの取引も信用以外では行われない。

小作人は地代を払えない。

トウモロコシの仲買人は支払いを受けられず、取引を停止しているので、トウモロコシは倉庫に眠っている。

人びとの不満は頂点に達している。窮乏した貧しい家族の心中が相次ぎ、将来に何の希望もない」と、書き残しています(『21世紀の貨幣論』フェリックス・マーティン東洋経済新報社)。


ジョン・ロックの金属主義という貨幣観は、最終的にはイギリス経済を破壊してしまい、国民を貧窮に追いやってしまったのです。

ケインズではないですが、「考え方」とは時に驚くべき威力を発揮します。

結局のところ、人類は「貨幣の形」にこだわり過ぎているという話です。

「お金の条件」「お金の担保」「お金の需要」といった抽象概念を知らないままに、日常的にお金を使
う。


結果、人類の多くはお金それ自体に「価値」を見いだすようになってしまい、ジョン・ロック的な価値観、私に言わせれば「狂気の貨幣観」が受け入れられてしまうのです。

ジョン・ロックは政治哲学者として、封建領主的な強権を批判しました。

当然、領主たちが乱用した「シニョリッジ」を忌み嫌い、頑迷な金属主義に行き着いたのだと思います。

ロックにとって、貨幣観とは政治の延長線上にあったのでしょう。

とはいえ、お金とは「経済の道具」です。

経済を成長させ、国民を豊かにする「貨幣観」こそが正しいと考えるのですが、現実にはロック的な教条主義に陥り、間違った貨幣観が政治に影響を与えるケースは少なくありません。

なぜ、間違った貨幣観が受け入れられやすいかといえば、そもそも国民あるいは「人類」の多くが経済、経済力、そしてお金の担保について正しい理解をしていないためなのです。

実は、お金の担保は究極的には「経済力」になるのですが、果たしてどれだけの人々がこの真実を知っているでしょうか。


お金の本質について正しく理解していた政治家は、片手で数えられる程度しか存在しません。

代表的な人物を1人だけ紹介しておくと、荻原重秀です。

江戸時代の旗本で、勘定奉行を務めた重秀は、現代風に呼ぶと「管理通貨制度」について完壁に理解していた凄い人でした。

重秀の生きた元禄時代、日本国内では金銀の産出量が低下し、同時に外国からの輸入が増え、貴金属が海外に流出する状況にありました。

経済が発展した結果、「お金の需要」は拡大していたものの、先のイギリスの例と同様に、貴金属なしでお金を発行することはできない状況にありました。

当然ながら、経済はデフレ化してしまいます。

重秀は国民経済のデフレ化を食い止めるべく、1695年(元禄8年)にそれまでの慶長金・慶長銀を改鋳。

金銀の含有率を減らした元禄金・元禄銀を鋳造し、流通させることになりました。

ジョン・ロックとは逆に、金貨や銀貨が含む金銀の割合を減らしたのです。

重秀は、元禄期の人物でありながら、硬貨というお金について、それ自体に価値がある金や銀などである必要はないという、正しい考え方を持っていました。

重秀は、改鋳に当たり、「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」と、決意したことが、『三王外記』に記載されています。

320年以上も過去に、ここまで正しい貨幣観を持った日本人がいたことを知ったとき、筆者は驚くと同時に、感動すら覚えてしまいました。

出所:日本人が本当は知らないお金の話 三橋貴明 ヒカルランド2016-12-31


日本人が本当は知らないお金の話 (Knock‐the‐knowing)

 

生産性向上だけを考えれば日本経済は大復活する シンギュラリティの時代へ

 

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